「石の上にも3年」
耳にタコができるほど、聞かされつづけてきたであろうフレーズ。
「冷たい石の上にも3年座り続けていれば、しだいに暖まってくる」
ことから、
「辛抱づよく我慢していれば、成功への道が開ける」
という意味でつかわれます。
しかし会社でこれを実行しても、
たいして得るものがなかったという体験談です。
石の上にも13年・・・されど成功への道は開けず(クソが! )
僕の場合、石の上に“3年”どころではありません。
「若くして役職者になってやろう!」
そんな野望を抱き、石をしこしこと暖めつづけ、 13年が経過。
それだけ暖めていれば、
溶岩みたくアツアツになってもおかしくない!
ところが、座った石は冷たいままでした。
つまりは、出世できませんでした。
そして気づけば、
“若くして”とは言ってられない年齢になっていました。 (当時33歳)
石の上にも13年座りつづけていても、成功への道は開けなかったのです。
なぜなら僕がつとめている会社は、
典型的な年功序列の企業だったからです。
「会社のために」
と輝かしいほどの社畜ぶりを発揮し、昇進を狙う僕を尻目に、
「別に昇進したくない」
とまわりに触れまわっていた先輩が、
上からプッシュされ、昇進していきましたとさ。
そもそも、“(人生の)成功”の定義を、
「昇進」にすえたことが間違いでした・・・
ちなみに“3年”というのは「長い期間」のたとえらしいので、
3年という数字そのものに具体性があるわけではありません。
なので、よくある「3年続けたら〜」という解釈はあやまりです。
石の上に3年いたら、転職に有利か?
とは言ったものの、
石の上にも3年という言葉が浸透しすぎたからなのか、
転職市場においても、“3年”という勤続年数が、
「前の会社でちゃんとキャリアを積んだか?」
を判断するひとつの基準になっています。
「じゃあ3年以上経ったら転職し放題か?」
というと、そうではありませんでした。
頑張れば頑張っただけ報われる。
そう信じていた入社1年目の気持ちが、
氷の解けたカルピスのように薄まってしまった頃のこと。
たしか、動続6年か7年目くらいのときです。
「もっと努力が報われる、(給料の良い)会社に行きたい!」
そんな気持ちを胸に、転職活動をしていた時期がありました。
しかし、
「自分には市場価値がない…」
そうおもわされるほど、結果はさんざんなものでした。
「残念ながら今回は、採用を見送らせていただきます」
そんな通知ばかりが届きました。
転職支援サービスを利用していたので、不採用の理由を確認できたのですが、
その理由は耳を覆いたくなるものばかり。
「実力がちょっと・・・」
「精神的に弱そう・・・」
社内ではわりとデキるほうという自負があった僕。
それらの理由は、僕の伸びた鼻を折るにはじゅうぶんなものでした。
このとき、ようやく僕は気づいたのです。
「ただ勤続年数を増やしても意味がない!」
と。
社内で実績をあげたり、同僚や上司から認められたりすると、
「さぞ自分は市場価値のある人間なんだ!」
とおもってしまいます。
しかしそれは、社内だけの話。
一歩会社の外へ出れば、
「相手が求めるスキル・能力を何も持っていない」
なんてことがよくあります。
同業界に転職しようとしてもその状況。
たとえひとつの会社に10年動続していようと、
そんなものはただの数字でしかありません。
他業界に行こうとするなら、ならさらです!
何のために石に座りつづけるのか、その目的が大事!
僕は、
「今よりも給料の良い会社に行きたい!」
という欲望だけで、衝動的に転職活動をしました。
もしそれが目的だとするなら、僕は、
「転職したい会社(業界)から求められるスキルは何なのか?」
を真剣に考え、スキル習得のために戦略的・計画的に動く必要があったのです。
しかし転職活動に失敗した当時は、
その答えが見えず、更なる遠回りをすることになります。
「今の会社で真剣に頑張る!」
これがつぎの目的(目標)になったからです。
転職活動に失敗したのは、
「今の会社で真剣に頑張ってなかったからだ!」
そう結論づけたからです。
一見すると、意識の高い、良い目的に見えます。
しかし肝心の、「何のために」がすっかり抜け落ちているので、
そもそも目的にすらなってません。
「目的もなく、ただただ、石に座りつづける」
という愚かな行為を、僕は2度もくり返してしまいました。
真剣に頑張る過程で、
「同期たちより早く昇進する」
という目的を見つけはしましたが、
よく考えれは結果はわかっていたはずです。
もちろん、石は冷たいままでした。
(年功序列だからです)
では僕はどうすべきだったのか?
「何のために働くのか?」
ここまで目的を深堀りして、座る石を決めるべきでした。
「家族としあわせな人生(時間)を過ごす」
社会に出て紆余曲折15年。
ようやく僕は、座るべき“正しい石(人生の目的)”を見つけることができました。
石を暖める手段として、僕は「起業」を選んだわけですが、
ここでまたしても僕はあやまちをおかします。
ざっくり言うと、
「起業すること自体、
つまりはお金を稼ぐことが目的になって、家族を置き去りにした」
というサイテーなあやまちです。
(くわしくは以下の記事で書いてます)
「手段と目的が入れ替わってしまった」
というやつです。
こういう類いのあやまちは、
気をつけないとしばしば起こります。
「どの石が、座るべき石なのか?」
それは、置かれている環境だったり、
「どう生きたいか?」
という人生観により、人それぞれです。
しかし僕のように、
決して暖まることのないキンキンに冷えた石を、
2度も選んでしまわないよう、
座る石は慎重に選んでほしいとおもいます。
暖まりそうにない石なら、
すぐさま別の石を探すのも一考です。
ではでは(`・ω・´)ゞ
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